カンボジアの歴史
少しだけカンボジアの歴史について知ってくだい
カンボジアの誕生は約紀元前4000年以上前と言われており、各地域から人々が生活していた痕跡が確認されています。それ以来、東南アジア最長の河川であるメコン川を基盤とし生活の拠点を広げてきたと言われています。
17世紀にはいると、カンボジアは隣国であるタイとベトナムが脅威となり、両国を天秤にかける政治を布いてきたが結果、双方の信頼を失うこととなり、メコン川を挟んで東側をベトナムが西側をタイが事実上支配する事態にまで発展しました。
19世紀にはヨーロッパ諸国が東南アジアへの進出を目論む中、フランスの進行が始まり、1863年には同国に有利な条件で保護条約が締結されました。
これにより、カンボジアは隣国からの脅威から逃れることができたが、その代償として約90年に及ぶ間フランスの統治下に収まることとなりました。
1940年初頭、日本帝国軍がインドシナに進駐を行ったことにより、フランスの影響力が低下することになり、カンボジア国内では国家主義を中心とする言論が飛び交うこととなります。
1945年には太平洋戦争に終止符が打たれカンボジアは再びフランスの統治下に収まることになるが、東南アジア各地に発生した独立運動はカンボジアに影響を与えることになり、我慢強い外交戦略により1953年11月カンボジアは長期にわたる植民地支配から独立することになります。
カンボジアは、人口約1,500万人/国土約18万㎡/個人消費(年間GDP)約1,390米ドル/仏教徒約90%で、国土は日本の約半分となります。小規模な国ではあるが2015年にはASEAN経済共同体が発足し、それ以来構成国の一員として積極的に経済活動に参加しています。
近年カンボジアは、フランスによる積極的な経済的人道的援助や、日本を始めとする先進国によるODAにより内需が拡大し経済成長の底上げが行われてきました。
今後更なる成長を遂げるため、先進国と長期的な国間交流を軸に自国内への産業誘致が重要となり、そのためには、産業人材の育成と教育の質を向上させることが急務と言えます。
カンボジアの産業人材育成の力強い後押し
カンボジアでは日本の制度面の支援として、国際協力支援に対する評価は非常に高く、日本の支援なくして現在の経済を語ることはできません。
日本には途上国の発展に必要不可欠な制度を多く打ち出しており、カンボジア産業人材育成に役立つ制度も既に存在します。それが本年から取り組みが開始される特定技能制度や外国人技能実習制度、留学制度などの素晴らしい制度です。
これらの制度を最大限活用することでカンボジアの産業人材育成の力強い後押しになると確信しています。